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シンデレラマンを観て

『この手で人生を変えられると信じたいんだ。』

主人公の印象的な言葉とともに綴られるストーリー。今日は“シンデレラマン”の映画を見てきました。

大恐慌のアメリカ、街には職を失った人で溢れている。そんな中、家族の幸せだけを願ってリングに立ち続けたボクサー、ジョージ・ブラッドグ。彼はいつの間にかアメリカの希望の星になっていました。

この実話に基づいたストーリーを観て、家族の絆とか、生きることや、愛するってことを深く考えさせられました。

私は、今日ふとこの映画を見ている自分を、心理学的に観察している瞬間があるのに気がつきました。

それは、映画を見る時に、自分がデソシエイト(傍観者・客観的に)で観ているのか、アソシエイト(主人公になったかのように映画の中に入り込んで、主観的に)観ているのかを考えていたんです。

もちろん、私は映画を見る時に自分がアソシエイト(主人公になったかのように映画の中に入り込んで、主観的に)観ているのは以前からわかっていました。

今日は、ふとその中でも私は誰になりきってみているんだろう?

と思ったんです。

そして、私は、主人公ジョージの妻サラになりきっている自分に気がついたんです。

それはこんなシーンの時です。…
負け続けてタイトルを剥奪されたジョーが奇跡的な復活を果たして、連勝。そしてタイトルをかけた試合の相手は、ハードパンチで2人もリングの上で殺しているベア。

試合が近くなったある日、妻のサラはジョージににこう言います。

『私たちの為に頑張ってくれているあなたに感謝しているわ。でも、私あなたがタイトルを剥奪されたとき、神に感謝しに教会へいったの。いつかあなたの命がリングで奪われるのがこわかったから。今そのときが近づこうとしてる。お願いこの試合は断って。いざとなったらあなたの手を折ってでもいかせないわ。』

サラの気持ちがとってもわかりました。
私も愛する人には、勇気なんてみせなくてもいい、英雄なんてならなくてもいいから生きていて欲しいって思うんです。卑怯者、臆病者ってののしられても生きていて欲しいって。

でも彼はいいます。

『この手で人生を変えられると信じたいんだ。』

彼は、子供たちにミルクを買う為にリングに立ちます。
子供達と約束していたんです。『どんなに貧しくてもお前達をどこにもやらない。』って。

そして、妻にはいつもこう言っていました。『君の支えなしでは勝てない。』と。

試合当日、サラは教会に行きます。夫の無事を祈りに。するとその教会にはジョージの無事を願う沢山の人々が集まっていました。

サラは、試合前のジョージに会いに行きます。
『私の支えがなくては勝てないと思って。家で待ってるから必ず帰ってきてね。』って言うんです。

いよいよ。試合開始。私はジョージが戦っている間中『神様、どうかこの人を無事に家に帰してください。』って、祈ってる自分に気がついたんです。

その時、ああ私ってサラにアソシエイトしてるんだって気がついてビックリしました。いつも主人公にアソシエイトしてるって思っていたので。

心理学をやるまでは、映画を見るときのこんな自分の無意識のパターンを意識することもありませんでしたので、すごい発見でした。

それに、ジョージは勝つ事が目標ではなく、家族の幸福が目標だったので、勝つという事は自分の潜在意識の中に当然の暗示として入っていたのかもしれませんね。

だから勝てた。目標の上の目標が人を成功へと導くのだと今日の映画から再確認しました。

子供のため、愛する人の為だけに戦い抜けるって素敵だなって思いました。
彼は結果的にアメリカのヒーローになったけど、彼が戦った理由はたった一つ。愛する家族の幸福の為。ファンの為に戦ったんじゃないんですよね。

昔、ドラマの台詞でこんな言葉がありました。
『50人の人に愛される人より。一人の人に50年愛される人の方がいい。』
私もそんな人になりたい。
大勢のヒーローを目指して戦うんじゃなくて、ただ愛する者のために戦える生き方がしたいって、しみじみと思った一日でした。

p.s
あなたはどんな風に映画をみていますか?

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